善福寺川緑地~和田堀公園を散歩写真でご案内。ほぼ毎日出かけます。毎日撮しても新しい発見があります。これは感動です。桜・芙蓉・百日紅・紅葉・鳥たちも。季節ごとの移り変わりを日々の写真でお楽しみください。


by snagai64
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今年の水瓶は大丈夫のようです!
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by snagai64 | 2005-07-30 16:54

涼しい高尾山

2005.7.22 7月にしては涼しい一日でした。
 ①タマアジサイ 1
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 ②タマアジサイ 2
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 ③シャガ
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by snagai64 | 2005-07-23 14:46

尚仁沢湧水

栃木県塩谷町にあります。名水100選にも選ばれています。
水量豊かです。年間を通して水温11度。
標高590mの源泉、とても不思議です。       
                      2005.7.13

その①
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その②
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その③
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by snagai64 | 2005-07-15 10:52
 熊谷~北鴻巣(高崎線とお別れ)

( 雑 記 )
 最近杉並区から「杉並区民意向調査」なるアンケートを送られてきた。無作為に1,400人を選んだとある。昨年も書いた記憶があるので本当に無作為?
 杉並区といえば緑の住環境というイメージを売りにしたいところであろう。ところが現実には都内で一番緑の少ない区であることは案外知られていない。今はあまり喧伝しないが杉並ぜんそくの、又杉並病の地区であることに変わりはない。にもかかわらず、近年急激に増えてきた大型マンション建築ラッシュの売りは、相変わらず緑の杉並である。
 名前によって造られた幻の地区イメージの上で行政を考えても、本当の意味の住みよい住環境を築き上げていくステップにはほど遠いと思いますが、いかが?

 但し、我が家から5分の善福寺川緑地・和田堀公園の緑は文句なしにすばらしい緑の環境である。おかげで交通費をかけずに毎日緑の散歩、小さな森林浴の恩恵にあずかっています。

(熊 谷 考)

 今回は熊谷~北鴻巣のルートである。熊谷でJR高崎線にお別れして秩父鉄道のお世話になる。
 さて、熊谷の地名である。
九州生まれの私には住まいの東京や千葉以外の地はほとんど縁がなく訪ねることもない。従って名前を耳にすることは少ないが、熊谷は天気予報でなじみである。何故か夏暑く冬寒い予報をいつも聞く。いわゆる内陸性の気候の性であろう。大昔一度だけ、家族連れでワゴン車でお盆の時期に訪れたが、確かに暑かった。夕方だったのでそれ以外の印象はない。
 例のごとく出発前に村松昭さんの絵地図を広げる。市内に熊谷寺(ゆうこくじ)(熊谷直実)とある。アレ、アレここでようやく平家物語一ノ谷の戦い、平敦盛(たいらのあつもり)を討った熊谷次郎直実である事に気づく。
 今でこそ頼朝に従った源氏の武家の中で抜きんでて名前の知られる武勇の人として知られる直実であるが、出自は二十町歩余の地主であった。武家といっても中小の部類に入り、それだけに戦場で手柄を立てるとはすなわち自らの戦闘によるしか無かった。

 「先登を進みさらに身命を顧みず、多くの凶徒の首を獲る」(吾妻鏡)

 このように識って来ると、武家といえば現代でいえば職業軍人のように思うことが、どうも誤りのような気がする。わずか?二十町歩の所領を安堵してもらうために体を張って戦わなければいけない中小の武士が主体であったようである。「一所懸命」、すなわち、二十町歩も命がけである。

 平家を追いつめた多くの源氏の武家、命がけの武家集団の中で、熊谷次郎直実は一ノ谷の戦いで全国区の知名を得ることになる。

敦盛最後の事(平家物語)

・・わが子の小次郎が齢ほどして、十六七ばかんなるが、容顔まことに美麗なり。「そもそもいかなる人にてわたらせ給い候ふやらむ、名乗らせ給え。助け参せむ」と申しければ、「まづかういふわ殿は誰そ」。「ものその数にては候はねども、武蔵の国の住人熊谷の次郎直実」と名乗り申す。「さては汝が為にはよい敵ぞ、名乗らずとも、首を取って人に問え、見知らうずるぞ」とぞのたまいける。
                 ・・・
 また平家物語を題材にした、
いちのたにふたばぐんき『一谷嫩軍記』(浄瑠璃)の『熊谷陣屋』(三段目)で度々上演され、後生多くの人の知るところとなった。
 全国区で知られるようになった武勇の人、熊谷次郎直実であるが、生来の口べたというか世渡り上手でなかったようで、後年隣地の境界争いで鎌倉幕府に訴え出たが、頼朝の裁断は直実の不利な判定となり(直実は命の恩人と頼朝は称えていたにもかかわらず)、
不公平な判断に憤慨し途中で退座。髪を切り武士を捨て熊谷郷に戻る。 その後仏門に入りかなりのお寺の建立に関わっている。
(熊谷寺は直実ゆかりの草庵が基である)

 古い地名辞典によると、

「古今当所の谷に大熊住て、人民を悩ませしにより、次郎大夫平直貞退治せり。是より地名を熊谷と呼びたりとぞ。また、直貞が家号にも唱へしより、その子直実も継で名乗しとぞ、是熊谷系譜、熊谷寺縁起に載る所なれど正しきことを知らず。」

 大熊を退治したから「熊谷」になり、更に退治した人の屋号が「熊谷」になった。しかし本当のことはわからない。(正直でいい)でも、決定的なのはやはり熊谷次郎直実の一ノ谷の戦いが平家物語の段落となり、更に浄瑠璃狂言となって多くの人の感涙を呼び「熊谷」の名が全国的に有名になったからであろう。いわば「屋号」が地名となり、現在に至っている、といえるのではないか。

(熊 谷 駅)

 熊谷は交通の要衝である。(市のHP)

熊谷市は、埼玉県の北部、首都東京から65km圏内にあり、関東平野のほぼ中央に位置し、埼玉県北の政治、経済、文化の中心都市である。交通では、上越新幹線、北陸新幹線、JR高崎線、秩父鉄道の3線と、国道17号、同バイパスをはじめ、125号、140号、407号の国道4線が市内を走り、「広域型商圏都市」に位置づけられる。
 国道17号とは中山道であり江戸時代は宿場町として栄えた。

 新幹線駅?今も昔も新幹線の整備は政治的に価値は高いようで、著名な政治家の陰をすぐに思い浮かべることが出来るだろう(故人ではある)。今回の出発は新幹線口から降りるのである。概して熊谷までの高崎線は荒川側の方には街並みは少ない。線路の反対側に街は広がっている。その昔列車の線路をどこに敷設するか、街中を嫌った地方が結構あったように聞く。結果は線路に駅に近い方が発展し、昔の繁華街が場末になった、ということはよく耳にした。高崎線の場合は、荒川の氾濫を心配しての事があるのか今でも線路側が繁華にはなっていないようである。

 以前、会社の出張で東北地方を訪れたが、東北新幹線の場合、決まって新幹線裏という様相で、表と裏の繁華の違いが歴然としているのに驚いたことがある。この場合は、線路の施設を街外れにしたためであろう。

(熊谷桜堤)

 熊谷駅の新幹線側、街並みから言えば駅裏の出口から荒川を目指す。土手(熊谷桜堤)まで500mである。荒川歩きの身には駅から土手までの距離の近いのはありがたい。
 本来は・理想を言えば、荒川沿いの街々や名所旧跡を訪ね歩き、荒川を巡る川と人の生活の関わりなどをしっかり探索すべきであろうが、とにかく一度歩き通してみようと名が身には、川が近いのはありがたい。
 荒川桜堤と名前があるのは勿論桜の有数な並木であるが、その前に度重なる暴れ川の氾濫に必死で築かれた堤(堤防)がその基になっていることは言うまでもない。堤に近づくと市の公共施設が多くある。図書館・体育館運動場などである。共通の駐車場があり、守衛さんに挨拶すると、今日は天気がいいから富士が見えますよ、と愛想のいい返事が返る。我が身の出で立ちが、いかにもウオーキングのよそ者に見えるのであろうと納得。
 土手の上がり口にロータリークラブ建立の熊谷桜堤の碑がある。桜並木は上流側・下流側にちょうど土手の下の道に沿って伸びている。今日は下流に向かって歩くのである。
土手をあがりきると、広い広い河川敷、中程にきらめく流れ、上手に荒川大橋が架かる。橋の左側わずか上方に確かに富士山が見える。直線距離はどのくらいなのだろう?一度山の雑誌で富士山の見える地点の特集をやっていた。東北地方でも見えるらしい。もっともかなりの山からであったように記憶する。熊谷で富士とは予想しなかったので、感激である。富士を見ると感激する。私だけではないようである。日本人の判別法に、富士を見たら感激する、なんて学問があるのか、無いのか?勿論写真に撮ってみても豆粒にしか写らないが、富士は富士だ。

(広い河川敷)

 天気の良い日曜日。河川敷は1月にもかかわらず良い陽気で、家族連れが遊ぶのをしばらく眺める。流れは一言で言って、川らしい流れである。適当に水流もあり、綺麗である。きらきら光る水面を記念に撮影する。

 荒川大橋付近が河口から75kmくらいである。建設省(国土交通省)もここら当たりは律儀に細かく距離標をたて、赤くペンキを塗っている。土手がはっきりしているので、たまにはサイクリングやウオーキングの人もいることであろうと気を利かせたか?まあ歩く身には距離の目安がついて便利である。

 とにかく今回のコースは河川敷が広い。純粋に河川敷といわれるものは国土交通省が管轄しているようで、農地といえども無断耕作は出来ないようである。無断耕作禁止の立て札があり由緒正しい賃借はその旨表示してある。地名は失念したがいかにも洪水時は水没しそうに思える土地に部落があるのは驚いた。水没しないから部落があるのであろうが?しかも墓地があるのである。あまり大きな木は見あたらないので、夏場歩いたら大変だと、一月の晴れた空を見上げたものだ。

 たんたんと進んだが、はるか陸側?には延々と「荒川コスモス街道」なるサイクリングロードが設けられている。この道はさすがに自転車の人がちらほら目についた。
 途中これも地名を失念(メモを取らないので)したがかなり大きな送水管が荒川をまたいでいるのが見える。巨大な管が二本、堂々と川を渡る。きっと一本は1,000mm以上ある、と想像した。○○mm等の単位を使うといかにも専門的であるが、素人でごめんなさい。以前荒玉水道道路を探索したときの水道管が1,000mmだったので、真似したまでです。荒川歩きで水道橋を見たのは二回目である。今回もどちらからどちらまで水を運んでいるのか見当はつかないが、推測すると、東京の方へ向かっているのでは?

 確か荒川では二回目になるが、立派な模型飛行機の飛行場に遭遇した。実際にその飛行を拝見したが、小さな機体にもかかわらず、ものすごいスピードで飛び立ち、見事な転回などのアクロバットには驚いた。もっと驚いたのは、大きなワゴン車が車内に架台をしつらえた格納庫になっていることである。家族は乗せないとのこと。家庭争議は起きないのかいささか心配である。

 吹上町に差し掛かると、誠に見事な体育施設に遭遇した。何でも国体の競技に使われるようである。屋内体育館も誠に立派であるが、少人数で柔道のような稽古が見えただけである。目的の国体はソフトボールのようであるが立派なスタンドも備えられた球場である。国体が終わるとどうなるの?

 変化の乏しい広い広い河川敷を淡々と歩いた一日であったが、一月にもかかわらず暖かい日に恵まれ、それなりに幸せであった。

                                      つづく
                      2005.7.5 記
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by snagai64 | 2005-07-06 22:31 | ⑦熊谷~北鴻巣