善福寺川緑地~和田堀公園を散歩写真でご案内。ほぼ毎日出かけます。毎日撮しても新しい発見があります。これは感動です。桜・芙蓉・百日紅・紅葉・鳥たちも。季節ごとの移り変わりを日々の写真でお楽しみください。


by snagai64
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カテゴリ:⑩寄居~野上 その1( 1 )

《荒川を歩く》
 第10回(2004.8.3)の1

   寄居~野上 ①
     (東武東上線経由秩父鉄道)

( 雑 記 )季語に学ぶ

 善福寺川緑地に散歩に出かけ、写真を撮るのを趣味としている者としては、
植物の様々な知識を仕入れることは大事なことと思っています。残念ながら
今のところ、花やその他の植物の名前をほとんど知りません。
 たまたま、古本屋で買った文庫が良い助っ人になっています。
俳句をなさる方向けの本で
  「吟行版 季寄せ草木花」朝日文庫 全7巻
 内容は、季語・選句そして季語の対象の写真です。
 普通の花や植物の写真集と異なり、俳句の季語に取り上げられた写真が
納められていることです。驚くことに俳句をなさる方は、実に様々な花や植物
を季語として詠んでいるのです。
 まず、善福寺川緑地で見かける花や植物はほとんど網羅されているでしょう。
その意味では公園撮影の大切なガイドブック。
 しかも、名前を覚えられるのです。その意味では「名もない花」「雑草」などは
この世にはほとんど存在しないことがわかります。もし、名前が知られていない
植物にお目にかかったならば、新種の発見かもしれませんね。
 この季語写真の本で教わったことの一端をご紹介します。
 夏本番、芙蓉・木槿が盛んに花をつけます。ある時芙蓉の項目で
「枯芙蓉」という季語を見ました。
花の落ちた芙蓉が冬姿では枝先に球形の果実を残すのです。
そこで、夏に芙蓉を撮った数カ所や神田川を訪れましたら見事に
残っているのです。
 俳句の人は実に自然の観察は細やかなものだと、感心した次第です。

 芙蓉 夏(善福寺川緑地)
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 枯芙蓉(神田川)
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( 本 文 )

 「 寄居町:れとろな町並み 」 
 前回は東武東上線寄居駅から「川博」を主目的に荒川を下り秩父鉄道
永田駅までのコースであった。
 今回は本来の荒川を遡行する歩行コースを取る。
いずれにしても寄居の駅から寄居の町並みを抜けて、荒川岸近くの道に
出なければならない。
 
 寄居の駅と一言に言うが、「東武東上線」「秩父鉄道」「JR八高線」が
一堂に会する駅である。
 東京の都心のターミナル駅ならわかるが荒川河口(東京湾)から
約100kmの地である。昔から交通の要衝なのであろう。
もちろん戦国時代の重要拠点でもあっただろう。
 前回触れた北条の出城、3,000名を擁した「鉢形城」が築かれたのも
うなずける。
(鉢形城のフィナーレを飾ったのは、北条と豊臣の戦いであった。
寄居町に「寄居町北条祭り」がある。
 *4月第2土曜日
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 鎧兜に身を固めた武将たちの行列、荒川をはさみ大砲の砲声が鳴り響く
北条軍と豊臣軍の攻防戦など、戦国時代を再現し、満開の桜を背景に
武者絵巻を繰り広げる祭り。*)

 3つの鉄道が交差する駅にしては閑散としている。駅の外の町並みは
もっと閑散としている。
 商店街というか駅前の通りのたたずまいも、私にとっては一昔前の記憶の
町並みである。
 不二家のペコちゃん
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 片倉シルク号
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 町並みをしばらく歩くと荒川の岸である。ここの川岸は水面からかなり高い。
正喜橋の両側はかなりの淵である。川に面して水天宮があり、夏には盛大な
お祭りが行われる。
 水天宮祭りのポスター(8月第1土曜日)
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(*県指定名勝玉淀の下流で発見された水神様を水天宮として改め、水難
よけや安産、子育てなどを祈願して昭和6年に始められました。
寄居玉淀水天宮祭の付け祭りとして行われる花火大会と舟山車の競演は
“関東一の水祭り”と呼ばれています。*)

 「 宗像神社 」 
 荒川の左岸を上流への道をたどると、このあたりから上り勾配が感じられるよう
になる。道は桜並木となる。もっとも真夏故、青葉の並木である。歩行者には
ありがたい木陰。
 「宗像神社」なる社殿の前を通る。狛犬の口と前足だけ何故か最近のものと
思われる赤い彩色がしてある。この部分的な赤は不思議で且つ気味が悪い。
 私は福岡県の出身。県内の「郡」の名前に「宗像郡」があった
(現在は知らない)。
 これはたぶん「宗像大社」に由来する地名だと思う。「宗像大社」はもちろん
全国6,000ある「宗像神社」の総本山である。ただ、「海の守り神」と思って
いたが、現在は交通安全も守備範囲であり、県内の車に宗像さんのステッカー
を多く見た。
 「荒川」と「宗像神社」の関係はいかに??
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 「宗像神社」の近くを鉄道の線路が走る。「単線」でかつ、電線なし。
地図でみると、どうやら「八高線」。荒川をレトロナ鉄橋を経て「宗像神社」
の傍らを通って「寄居駅」まで通じているようだ。
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高麗川~倉賀野(高崎)間(八高北線)
 1996年以降、東京近郊区間唯一の非電化区間である。
平日寄居駅上り八王子行は一日16本。1時間1~2本。
どうやら貴重な非電化線路を見たようである。

 「 忠魂碑 」 
 周りを木立が囲む涼しげな広場がある。一角にはテーブルやベンチが
備えられている。広場の入り口には立派な「忠魂碑」の石柱が立っている。
さらに中には「英霊塔」を備えたコンクリートの建物がある。
 今でも山地の畑のなかの墓地で、戦死した兵士の立派な墓を見ることがある。
ただ、日本中の至る所の広場にあったであろう「忠魂碑」は最近めっきり見なく
なった。私の子供の世代では「忠魂碑」の存在や意味をたぶん知らないであろう。
 村々のあちこちの部落単位で残る忠魂碑は戦争中、いつもなじみの若者が
徴用され、遺骨となって帰還した悲しみが、とても強く感じられるのである。

 さて、「忠魂碑」の広場では、木陰を選んでゲートボールゲームの真っ最中で
あった。どう見ても70代以上の男女である。もしかしたら、この中のどなたかは
出征の経験もおありかもしれない。
 ベンチをお借りして、一休みしていると、珍しいよそ者を見かけた、とばかり年配
の男性がゲームを離れ、私の方へ寄ってきて、話しかけられる。
 私の自己紹介の後、ゲートボールをこの広場で始められた経緯などを語られる。
彼が発起人で数年前始めたとのことで、最初の男性優位から最近は女性の
数の方が圧倒的とのことである。
 現在80歳である。70代後半に皆さんに呼びかけ活動開始したと言うことで
ある。
 私は60代半ばをすぎた年齢である。真夏に荒川を歩くなど酔狂なことを
やっているが、70代の終わりに、人々に新しいことを呼びかけ、グループ活動を
始めることが出来るだろうか?
 そう思うとき、かの男性のエネルギーとリーダーシップに大感服である。
でもそのことは、彼の言葉を借りれば、自宅に引きこもりがちな高齢者を戸外に
誘い体を動かす運動をともにする。もちろん、皆とともに運動する恩恵は彼も
存分に受けるわけである。
 木陰のゲートボール
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                                      続く
                                2006年7月 記
by snagai64 | 2006-07-19 08:02 | ⑩寄居~野上 その1