善福寺川緑地~和田堀公園を散歩写真でご案内。ほぼ毎日出かけます。毎日撮しても新しい発見があります。これは感動です。桜・芙蓉・百日紅・紅葉・鳥たちも。季節ごとの移り変わりを日々の写真でお楽しみください。


by snagai64
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

カテゴリ:⑤北本~指扇( 1 )

 北本~指扇

クリスマスイブに歩く 

第4回(8月)からまたまた季節は移って12月24日、クリスマスイブ。日本人一般には商店街のクリスマス商戦(子供の喜ぶプレゼント)くらいしか意味はないようだが、それでも華やかな季節の印象はある。ただ、荒川を歩きにはたまたま日程がそうなったにすぎない。北九州出身の私にとって、関東の冬の晴天続きには、当初驚きであった。そして、日常生活の様々な面でメリットがおおいだろうな、と思う。これが同じ緯度にありながら山の向こう、日本海側は、これまた九州人には想像もつかない雪に閉ざされた地方があるのだ。そういうわけで、寒さを除けば、荒川歩きに出かけるのは、冬は良い季節となる。
 今回は高崎線北本駅を起点とし前回の指扇駅まで下るコースである。地図を見ると北本駅から荒川端まで大変距離がある。よく見ると荒川の近くに「北里研究所メディカルセンター病院」があり、さらに詳しく見るとバス停があるようだ。早速病院のホームページを参照すると、案の定北本駅からの循環バスがかなりの頻度で運転している。更に病院は自然観察公園に隣接し、自然観察公園を抜けると荒川の流れに達することがわかった。駅から3km位あるので、大いに時間の節約になると喜んだ。

地名考「北本」

 ところで、第4回の指扇の地名もおもしろかったが、今回の「北本」も何かいわれが?と、北本市のホームページを参照すると、明治初期からの村々の統合の過程の中で生まれた地名であるとの解説があった。
 14の村(明治初期)→2つの村(明治22年)→北本宿村(昭和18年)→北本町(昭和34年)→北本市(昭和46年)
 おもしろいのは北本宿村から町になるとき名前が長いので宿の字を取ってしまったとのことです。素人目に「宿」を取ってしまうと地名にまつわる歴史が消えてしまうのではと思えるのだが、土地の生活者には歴史よりも短く使いやすい方を選んだと推測してしまう。そのことで住人の気質が云々を推測するつもりは、門外漢の私には全くない。

北里研究所

 ありがたい循環バスに乗り「北里研究所メディカルセンター病院」より一つ手前の自然観察園入り口バス停を目指す。住宅地を通るせいか、運行が誠にノンビリである。
 「北里研究所メディカルセンター病院」
というのも、気になる存在である。北里柴三郎博士は小学校の教科書にも取り上げられた(現在は知らない)偉大なる研究者であるが、国立伝染病研究所の所長を辞して私立北里研究所を設立されたのが大正3年(1914)であり、その創立75周年事業として、平成元年(1989)
 北里研究所メディカルセンター及び
 北里研究所メディカルセンター病院
が北本市に開設されたとのことである。
 病院自体は、440床、医師68名、看護婦320名、医療技術者67名、事務97名のの堂々たる大病院である。看護専門学校も設けられている。杉並区の住人である私がこの病院のお世話になることはないが、教科書に登場する偉大な研究者のゆかりの病院であることは一つの発見である。広い敷地故、「コッホ北里神社」が祭られているのは興味深い。

さくらのまち北本

 さて、自然観察園入り口でバスを降りる。バス停の反対側には大きな駐車場やトイレが設けられている。後で調べると、この一帯は北本市が誇る桜の名所である事がわかった。市のホームページでは
 「さくらと範頼伝説のまち 感動桜国 きたもと」
と桜の国であることを大いに宣言しているのである。
 曰く、石戸浦ザクラ、城ケ谷堤の桜並木、高尾さくら公園、エドヒガンザクラ、子供公園。
 特に、石戸蒲ザクラ(いしとかばざくら)は売りのようである。
 東光寺境内にあり、日本五大桜に数えられる名木で、大正11年国の天然記念物に指定されました。名前の由来は、この地を訪れた源頼朝の弟「蒲の冠者(かばのかじゃ)源範頼(みなもとののりより)にちなんでついた、と伝えられている。
 悲劇の弟は義経だけでなくこの範頼も謀反の疑いをかけられ頼朝に殺されたと言うことである。(立派な軍功のある武士であった)
 いくら桜の名所であっても、時は冬、歩いていてなかったのは致し方ないか。ただ、とても大きな駐車場の意味は理解できた。
 自然観察園は、湿地帯を中心とした自然を残した一帯である。冬鳥が多く見られるのか、この季節としては人手が多く、カメラや双眼鏡、望遠鏡の人に度々出会った。自然観察が今日の目的でないので、荒川の川岸を目指す。
 自然観察園を抜けるとすぐに荒川の土手である。これが見事な桜の大木の並木である。冬に見ても感心するほどの大木であるから、桜の季節はいかほど華やかな景色を演出するのか、想像を超える。自宅近くの善福寺川緑地の桜並木も近年貫禄を増してきたが、こちらの貫禄は幕下と大関の違いはあろう。桜の枝は案外横に広がって伸びるのが好きで、特に川などの土手では、土手の斜面を這うようにして下の方に光を求めて枝先をのばす。自分の枝の重みも忘れてのばすようだから、大木の枝は、人が杖のような支えをつけている例が多いようだ。この土手は「城ケ堤」という。何度も思うのだが、春はすごいだろう!でも、再び来ないかも・・我は旅人なり?

ビオトープ?

 下流に向かって歩き始めて程なく
「荒川ビオトープ」なる薄汚れた絵入り看板が目に入った。ところが看板の貧相な出で立ちと異なり壮大な自然保護を目指す工事なのだ。ビオトープなる言葉は初めてお目にかかる。多くの人にもなじみはないだろうと思う。 
ビオトープ:生息環境を保護 
 Bios(生き物)と
 Topos(空間)を合成したギリシャ語を語源とするドイツ語。
 森林、湖沼、草地、ヨシ原、川辺、干潟などの自然及び生き物がある程度まとまった場所のこと。なるほどギリシャ語やドイツ語ではなじみは無いわい。ここでは先ほど通過してきた北本自然観察園と併せて50Haを確保して自然保護を目指しているとのことである。保護の目玉は鷹の仲間である「サシバ」であるらしい。

 「サシバ」は4月上旬に東南アジアなどからやってきて、10月中旬まで滞在するらしい。当然肉食の鳥だから食物確保(餌が存在する)為に50Haもの面積が必要なのである。勿論広さだけではだめで、小魚や昆虫や小動物あっての食物連鎖の頂点なのだから野生が生息する自然環境の回復(造成?)無くしては「サシバ」様のご滞在はあり得ない。このように、鷲とか鷹の生息地が保護の対象になるということは、食物連鎖の頂点に立つ猛禽類が生息するにはその下位の食物群の存在できる自然環境が保たれていると言うことである。当然広い広い自然環境が必要。

 このビオトープ整備事業は荒川上流河川事務所の管轄である。当然自治体や自然保護のNPO諸団体も多く関わる。河川事務所も歴史の中で大いにその仕事の範囲も広がってたということである。もっともお役所のこと故職務の広がりは権限の広がり、予算の増額、大いに喜ぶ姿が目に浮かぶ。ビオトープには監視カメラまで設置され、HPではライブ映像もサービス?されている。ここまで必要?

桶川市

 土手道から少し離れて火の見櫓などのある集落をすぎると、桶川市の領域に入る。ただの地続きだから風景にさして変化はないが、行政の売りが違ってくる。今度は「紅花」である。現在では特定の用途だけにしか使われないであろうが、明治期の初めまでは大いに使われていた。当初は山形の「最上紅花」が圧倒的であったが、江戸期に趣旨を入手、後半になると桶川が全国で二番目の産地となった。栽培農家にとっては米の2倍の反あたり収入が得られたと言うから嬉しい作物であったはずである。ちなみに現在神田に小さいながら「紅花会館」がある。そこで聞いた話では、問屋は川越にありそこから江戸に集荷したとのことである。小規模ながら会館を設けるだけの商売は成り立っているのであろう。 北本のさくらと異なり、歴史上の名産と言うことである。桶川市としては歴史の助けを借りて、街のイメージアップを図っているということ。
 
 地名の由来は、沖側(おきがわ)
 :オキは広々とした田畑

 北本にしても桶川にしても荒川流域の広々とした田畑の広がる地区で地形に特に区別があるわけでない。歩いているといつの間にか隣の市になっていた。そんなものである。
それに引き替え四国愛媛南予の境界ははっきりしていたな、と思う。何しろ山又山で当然山の向こうは別の町や村であった。
 桶川市に入りしばらくして、「はにわの里」、「安らぎの里」の建物が隣接して現れた。名前から推測して案の定「特別養護老人ホーム」と「経費老人ホーム」のアベックであった。畑の中に忽然と立つ感じである。
両ホームの違いは、
 特別養護老人ホーム:
  65歳以上のものであって、身体上又は精神上著しい障害があるため、常時の介護を必要と  するもの(いわゆるねたきり老人等)であって、居宅において適切な介護を受けることが困難  なものを入所させる施設。
 軽費老人ホーム:
  定額名料金で、家庭環境、住宅事情等により居宅において生活することが困難なものを入  所させ、日常生活上必要な便宜を供与する施設。
 同じ老人ホームでも名前の違いは入所基準やサービスの違いを表すと言うことである。 少々集落から離れすぎていないか?そんな印象を受ける。

 老人施設に続き現れたのは「原山古墳群」の標識である。老人施設の次は古墳。あまり良い並びではない。勿論古墳はお墓である。古墳はもう一つ「熊野神社古墳」が3Km
隣にある。大きな開発が行われる地区でもないが、設置された4世紀以降地元の人に大切に守られてきたのであろう。

昼 食

 やがてお昼。お楽しみの昼食に今日は小型のコンロでお湯を沸かすパフォーマンスを用意した。荷物自体はその分重くなるのだが、コンロを持参する人は多いようで、登山用具などのお店に行くと、実に様々なコンロが用意されている。私にとってはいわば儀式みたいなものだから、最も小さくもっとも軽い器具を持参した。実はコンロだけで4種類も持っている。ほとんど使わないが、店で眺めるといろいろ欲しくなるので、ついつい。
 男の趣味(運動も含めて)行動の一部に道具に熱心になると言うのがありそうである。行動の前にいろいろ道具をそろえてしまう。道具をそろえたからと言って、その道の達人になるわけではないが、何となく技量を上げる、と信じているような。毎週新聞で見るゴルフクラブの宣伝、自身の写真の趣味で言えばカメラを10台近く揃えたり(全く上達しないが)。道具は腕には関係ない、としっかり観念するにはかなりの年月が必要である。
 大切な儀式なので、ちょうど差し掛かった立派な神社の開けた駐車場の隅にある大きな石のそばで行うことにした。自然の腰掛けでもある。あっという間にお湯が沸いた。まず卵スープでおにぎりを食べ、その後紅茶を入れる。重さ、手間暇、でもそれなりの雰囲気は充分に味わえるのである。こんなおもちゃは自宅では女性軍に軽蔑されるだけであるが、今は一人である。
 昼食場所におじゃました神社に最敬礼し、歩みを進める。荒川沿いにかなりの神社があるが皆鳥居が川の方を向いている。流れの位置より社殿は高台にあるのだから、川の流れの方から社殿に向かって登る方向に神社の配置がなされるのは当然であろう。川は人の命を支える飲み水と、作物を育てる灌漑用水を運んでくれる。氾濫無く、枯れることなく穏やかに流れてくれることを、いつも祈ったであろう事は充分に感じられる環境である。

上尾市

 太郎右衛門橋という個人名を冠した橋を過ぎる。何か歴史的ないわれがあるのだろうが今は不明である。対岸にホンダエアポートが見える。小型機用の飛行場のようで、セスナタイプの飛行機が次々に離着陸する。かなり忙しそうだ。当然個人オーナーもいるのであろう。小型機とはいえ、飛行場を設けることが出来るほど荒川の河川敷は広いということである。ふと、地上の風景は充分見ることが出来るはずだから、川辺を一人で歩く男はどのように見えるのだろうか、それとも何も感じないのであろうか?どうでもいいことであるが。
 名前は確認しなかったが、仮の造作に思える橋を通り過ぎる。小型の車が通れれば良いといった簡単な作りである。増水時はどうなのであろうか、当然通過は危険であろう。

 おもしろいことに、牧場が現れた。現役の牧場である。アイスクリームの宣伝看板があるから、訪れる人もいるのであろう。北海道の牧場地帯を訪れたとき、牧草を丸めて、ちょうどマットレスを丸めた形で干しているのを見かけた。乾燥した後は、大きな丸めた上にビニールをかけるのである。今日その丸いビニールの積み重ねを見たときは愉快であった。ここのビニールは白色である。北海道では黒であったので、地方によって色が違う?そんなことはないであろう。牧場だから当然牛がいる。かなりの数だ。牛以外も飼っているようだ。牧場で思い出すのは八千代市の公団の隣の牧場。公団の出来た(八千代は日本で最初の団地の出来たところ)時はとてもとても人の住む地区ではなかった。牧場は当然のものであったっが、今はエッ・・こんなところに、である。その点荒川の牧場は納得の位置である。ソフトクリームの看板にかかわらず商売の気配がないので、全くの季節はずれらしい。まーいいか。

 今日のコースは誠に立派なサイクリングコースが走っている。もっとも場所によっては川のそばからかなり離れていることが多いので、あまり通らない。更に感心なのはサイクリング様おやすみ所が設けられている。その一つに寄ると、なんとお名前が「アッピーおやすみ所」上尾市とある。上尾市の文字の上になにやらキャラクター人形の絵が??
 東屋風のおやすみ所には自転車の二人連れ。私と同年配。一人が盛んにフィリッピンの観光地が良かった、と語る。場所は聞いたが直ぐに忘れてしまった。とにかくサイクリングロードは機能しているらしい。

 対岸に「リバーサイドフェニクスゴルフクラブ」なる長い名前のゴルフ場が現れる。ここもクラブハウスは川のこちら側である。忽然と「鰺坂医院」の看板が現れた。内科・小児科更に赤い字で産婦人科とある。地図にもあるので歴史のある医院なのであろう。それにしても看板のペンキが少々古いようだ。
 ゴルフ場が又現れる。「大宮国際カントリークラブ」である。ここは先回の出発地点である。ゴルフ場は面白味に欠けるので周辺の道路を通り、指扇駅を目指して、夕方の光の中を歩いた。

 今回のコースは、知らない地名、知らない桜、知らない施設等々、めまぐるしく歴史やら現代やら出現して、誠に頭の体操に忙しい行程であった。ウオーキングを体だけの運動と思っている人がいたら、今回のコースで出会った様々な頭脳を刺激する出来事を良い証拠として、ウオーキングは一方で良き頭の訓練であることを喧伝せねばと、改めて思った次第である。

                                      つづく
                                      2005年3月記
by snagai64 | 2005-04-19 18:50 | ⑤北本~指扇