善福寺川緑地~和田堀公園を散歩写真でご案内。ほぼ毎日出かけます。毎日撮しても新しい発見があります。これは感動です。桜・芙蓉・百日紅・紅葉・鳥たちも。季節ごとの移り変わりを日々の写真でお楽しみください。


by snagai64
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

荒川を歩く:第8回(2004.7.3)の2                熊谷~永田(秩父鉄道沿線に入る)②


熊谷~永田(秩父鉄道沿線に入る)②

 ( 雑 記 )


 杉並区公立中学校来年の歴史教科書が決まった。F社の歴史教科書は問題おおいにありと、また決定機関である杉並区教育委員会がそのF社の教科書を採用するであろうとの予測から、早い段階で反対運動が激しく展開されていた。注目の高さを表してか、普段庶民になじみのない教育委員会の審議の模様がTVで取り上げられた。結果は反対グループの予想通りF社の教科書が採択された。ただ、F社の教科書は問題ありの認識は多くの場で取り上げられ、事実この教科書の採用率はなんと0.4%であると、報じられた。とんだところで、杉並区の名前を日本中に有名にしたものである。ただ、私は歴史の専門家でもないし、一般庶民に知らされている情報は限られているので、各教科書で取り上げられている歴史観の価値判断は出来ない。
 今でこそ、庶民の私ですら、歴史の記述には書き手の立場の価値観が反映する、従って立場が違えば価値観の違いが記述の違いになる、などと述べることが出来るが、そもそも「歴史」なる「書き物」は支配層の権威つけの為にあまれて来たのは、これこそ洋の東西を問わず「歴史の事実」である。現にそうである国が多数存在するようであるし、日本においてもつい最近までそうであったようだ。

( 川本町 ) 

 大麻生を過ぎると、川本町に入る。通常地方自治体等の境界線は川があればそこが境界線になるケースが多いように素人目には思えるのだが、必ずしもそうでもないようだ。地図を見ると、川本町は荒川を挟んで南北に位置する。川の南側になるが「畠山」の地名が見え、更に細かく見ると「畠山重忠公史跡公園」がある。先に「熊谷次郎直実」に触れたが、またまた鎌倉武士ゆかりの地である。

 ( 畠山重忠 )

 同じ鎌倉武士であるが、熊谷氏は有名(平家物語に登場)な割りには、先に述べたように「二十町歩余の地主」に過ぎなっかったのである。中小武士ゆえ戦場では身を張って、いわば命がけで戦い所領を安堵せねばならない身である。それに引き替え、畠山氏は由緒正しき武家の家系で様々な経緯はあるものの将軍頼朝に用いられ、いわば頼朝政府の要人であった。鎌倉には畠山氏の住居跡もあるとのことである。歴史の流れは頼朝亡き後の鎌倉幕府は北条氏に乗っ取られる方向に進むが、畠山氏も頼朝亡き後、北条氏に謀られて葬られ、何よりも知行地を収奪されてしまうのである。畠山氏の運命は、多くの頼朝に忠誠を誓った有力御家人がたどる運命でもあった。
 先の総選挙の時小泉首相は「自民党の権力争いなんか大昔の権力争いに較べたら生チョロいものです。命を取られるわけで無し。」といみじくもいわれたが、それでも、日本歴史のついつい最近まで、権力闘争は命のやりとりであった、ということは忘れてはいけないと思う。情けないことだと思うのだが、権力のある部分を、未だ暴力が担って居ることも忘れてはいけない。
 
 それにしても、鎌倉武士の有力なまた有名な御家人のお二人(熊谷氏、畠山氏)にゆかりの地が、荒川沿いの隣接する町にあることは、今回歩いて改めて知ったことである。尚今後のことを少し披露すると、荒川上流に行くほど鎌倉や鎌倉以降の歴史上の人物が続々と登場する予定である。これはひとえに律令の支配から新興武家の支配する世へ移りゆく動きの中心に「武蔵の国」の武家が活躍した証である。

 畠山氏の事はおおいに興味が湧いてきたところであるが、あまり止まる訳にもいかないので先へ進もう。

a0019673_2312253.jpg


a0019673_2342014.jpg

a0019673_2344718.jpg


( 白鳥の飛来地 )

 真夏に歩いていたので、「白鳥の飛来地」なる看板に遭遇したときは、誠に驚きかつピンと来なかったのであるが、看板に偽りはないようである。

 川本町のHPによると・・・

 川本町に渡ってくる白鳥はコハクチョウとオオハクチョウです。ただ主力はコハクチョウ。 昭和57年に11羽のコハクチョウが飛来して以来、次第に数が増えて来ましたが、年により水草の生育状況が変化するため、エサ不足で栄養失調となる個体が見られるようになりました。そこで川本町の故石川信夫さんが、平成3年の冬にパンを与えて餌付けに成功しました。 以来、町民や町役場の職員の協力と、多くの農家、企業の支援に飛来数も増加し、平成14年には過去最高の221羽を数えるまでになりました。
 コハクチョウは遠く4,000kmもの長く苦しい旅をして、毎年川本町を目指し渡って来ます。彼らは川本町の町民と環境が良いからこの地を越冬地として選んだのであり、いつでも彼らに対する愛情と良い荒川の環境を残してあげることが大切であると考えます。               ・・・・
 コハクチョウがある時偶然飛来した。大事に育み、毎年越冬するようになった。そのことを大切に思い、町ぐるみ良き環境を作り上げるシンボルとしようという決意が伝わってくる。機会があれば実際に飛来する様子を見たいものである。(白鳥飛来期間… 10月下旬~3月中旬頃まで )

 荒川を歩いていて、地域の川に対する取り組み姿勢の違いを感じる。川は日本の何処でもそうと思うが、「命の水」の流れるところである。ただ具体的に住民や自治体が大切に思う気持ちを持っているか、具体的に表しているかを思うとき、心細い。なにやら河川事務所任せみたいな感じである。

 「白鳥飛来地」の表示は(餌付けなどの場所か?)川の南側を指すが、今歩いているのは北側である。しかし、河川敷は広くしかもおびただしい葦の原である。対岸(南側)も地図で見ると河川敷は広い。なるほどこれならば、全長約120cmのコハクチョウも安心して動き、飛ぶことが出来るであろう。一度白鳥がいるとの話で千葉県の印旛沼の近所に出かけた。確かに沢山餌付けされているが、休耕田に水を張った場所だってので、何しろ水のある面が気の毒なくらい狭い。勿論周辺も田んぼなので、飛翔には差し支えないようだが、ハクチョウが飛び上がるには助走がかなり必要なので、ご苦労様である。(コハクチョウかオオハクチィウかは知らない)

参考; 
先に鴻巣市の時触れたが、日本で唯一コウノトリを飼育しているのは、兵庫県豊岡市にあるコウノトリの郷公園である。現在の飼育数は100羽あまり。そこで9月30日自然への放鳥がなされたとの報道があった。10羽ほどである。初めての試みで今後漸次増やしていくらしい。息の長い運動であると推測するが、成功を心から祈るものである。

連想; 
「コウノトリ自然へ放鳥」の報道に接したとき、情報や知識を増やしたり、物事の考え方を新しく学ぶことに、「連想」することの「力」を思った。
 具体的に述べると、「荒川を歩いて」初めて「鴻巣市」のことを知った。その「鴻巣」から「コウノトリ」のことを改めて知った。その過程で「兵庫県豊岡市」に日本で唯一
「コウノトリ飼育施設」を知った。このことが、9月30日の「コウノトリの自然への放鳥」の報道に目をとめる伏線となった。
 「荒川を歩く」の原稿を書く機会を与えていただいたおかげで、今まで知らなかった、又これからも知る機会もないような事柄を多く知ることが出来、又そのことが基礎となり関連の事柄に興味が湧いてきた。当分頭の体操を楽しむことがつづきそうで、感謝です。

( 菅沼天神社 )

 地図によると菅沼地区が町の中心のようで川本町役場などがある。全国にいくらの天神様が祭られているかは知らないが、信仰を今にとどめているのは学問の神様への信頼であろう。大学が全入時代を迎えたとは言え、志望の学校へ入りたいの願いは無くならないであろう。従って天神様へのお参りも続く。
 案内によると、
ここでは、毎年2月25日に、「的場の義」を中心とした春の例大祭が行われています。この催しは、空木で作られた矢を、梅の枝と麻縄で作られた弓で射り、竹で六角形に編んだ的に当てるというものです。五穀豊穣や家内安全を願い、古くから行われています。
 勿論、受験生も。(最も2月25日では大学受験はあらかた終わっている。来年の受験??)

 荒川歩きの我が昼食場所として、神社にお世話になることがおおいが、今回もお世話になる。荒川沿いの神社の社殿は概ね川をむいて建てられている。大体小高い場所であるので、自然と荒川を眺め降ろすことになる。最も川面を見ることはほとんど無い。とにもかくにも、神社のベンチに腰掛けての昼食は環境としては快適である。特に夏場は涼しい。 ところで、夏の歩きの飲食は飲み物が重点である。ペットボトル4本は飲む。熱中症の危険情報は山ほど聞いているので、ひたすら水分である。何故か日程が真夏か真冬。それでもかなりの回数をこなした。荒川を通しで歩く計画が無ければ、真夏も真冬も縁がなかったであろう。

a0019673_2355899.jpg


 ( 水道橋 )

 菅沼天神社で休憩ののち上流に進むと何度も見かけた「水道橋」である。ここの橋も立派で3本の水道管が渡されている。最も歩きの身には「橋」があるからといって、流れに沿って歩ける道があるとは限らない。勿論陸地側から川までは水道管取り付けの道路はあるが、流れにいわば直角である。この橋の場合も流れ沿いの道はなく、延々国道140号まで田んぼ・畑道をたどる。
                 つづく

a0019673_2364382.jpg

 
by snagai64 | 2005-10-01 02:26 | ⑧熊谷~永田 その2