善福寺川緑地~和田堀公園を散歩写真でご案内。ほぼ毎日出かけます。毎日撮しても新しい発見があります。これは感動です。桜・芙蓉・百日紅・紅葉・鳥たちも。季節ごとの移り変わりを日々の写真でお楽しみください。


by snagai64
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 銀座 Nikon Salon (5月29日)
# by snagai64 | 2016-05-30 11:40
 写大ギャラリー 東京工芸大学芸術学部 (5月24日)
# by snagai64 | 2016-05-30 11:32
 「屋形船」(5月26日)

 「屋形船」 桜木町発 「大岡川」と「横浜港」巡り
# by snagai64 | 2016-05-30 11:23 | 江戸を歩く
 横浜 大岡川(2016年5月19日)

 「桜木町」発~横浜の川と橋を歩く。

 ー異なる位置のまなざしは愉の時間ー
# by snagai64 | 2016-05-30 11:21 | 江戸を歩く

街あるき十条 ⑩

 歳月と開発と
# by snagai64 | 2016-05-30 11:13 | まち歩き写真

街あるき十条 ⑨

 三匹
# by snagai64 | 2016-05-30 11:12 | まち歩き写真

街あるき十条 ⑧

 甘味屋さんの心意気
# by snagai64 | 2016-05-30 11:09 | まち歩き写真
 山伏と信仰
# by snagai64 | 2016-05-30 11:07 | まち歩き写真
 千鳥饅頭物語  その二

  西日本新聞の「千鳥屋特集」によると

  「千鳥屋」の創業は「寛永七年・1630年」佐賀においてである。

  (寛永年間は家光の時代;島原の乱、寛永の大飢饉が起こる)


  我が家の奥様より聞いた話だが、「和菓子」は「茶道」につきものとのこと。

  「お茶席」は我が国では重要な「社交の場」であったのだ。

  現在に続く有名な「和菓子」は「武家や公家」の伝統を受け継ぐものだろう。

  
  さて「佐賀」で創業した「千鳥屋」は石炭産業で賑わう「筑豊・飯塚」に移ってきた。

  明治の御代、石炭成金やそれに伴う商人が財をなし、「遊郭」はもちろん

  上品な「お茶席外交」も盛んになったに違いない。


  実は飯塚には「千鳥」のほかに、割と有名な「ひよこ」も盛業だったのだ。

  「千鳥」が先か「ひよこ」が先か知らないが、私のいた頃は、両者繁盛していた。

  (もちろん貧乏で「ひよこ」も口に出来なかった。)


  時は移り・・・

  「産炭地」は寂れ、我が家も一家あげて「筑豊」から「千葉」へ移住することに。

  驚くことに・・・

  「ひよこ」も、少し遅れて「千鳥」も「関東」~「全国」へ販路を広げたのである。

  「千鳥」が「佐賀藩」の下を離れ「産炭地・飯塚」に本拠を移した「DNA」は

  生き続けているのだ!!

  
  「千鳥屋」の看板を見るにつけ、「筑豊」から「関東」へ移住した我が家、そして

  私の人生に「勇気」を改めてもらうのだ。

  
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# by snagai64 | 2016-05-18 12:14 | まち歩き写真
  千鳥饅頭物語 その一

  東京の街中で「千鳥屋」の看板を見ると、一気に少年・青年期を過ごした

  「筑豊」のことに想いが馳せる。


  「終戦」直前!」戦禍を逃れて小倉(北九州市小倉区)から筑豊に「疎開」した。

  家財を載せた馬車の列での移住である(アメリカの西部劇のシーン?)。

  
  「終戦直後」父は「三菱鉱業飯塚炭鉱」に機械工として職を得た。

  「炭鉱」では「採炭現場の仕事」が優先で、「「機械工」は低い地位と給料しか

  手当されなかったが、経歴と肉体条件で致し方なかった。(貧乏物語の始まり!)


  「飯塚炭鉱」は「福岡県嘉穂郡穂波村」にあり、三菱、住友の財閥系の炭鉱を

  筆頭に小炭鉱をかかえる「穂波村」は当時「日本一の人口」を誇っていた。

  (村長の添田氏は同学年の添田君のおじいさん、校長先生の経歴あり。

   豊かな財政に惹かれて、隣の「飯塚市」から度々合併を持ちかけられたが、

   頑として受けなかった。平成の現在、合併済み。)

  
  「炭鉱住宅・略して炭住」の長屋(5軒:まるで江戸時代の裏店)から延々歩いて

  30分の道のりを踏破して「楽市小学校」へ登校する。(楽市の地名があったのだ。)

  入学時、1年生は「16組」あった。(単純計算すると、6学年96クラス??)

  秋の運動会は壮大で、全校生徒はもちろん、父兄、近隣の人々、屋台、一大イベント!!

  それほどの人口を抱えながら、「街」は「バス」「列車」で出かけるお隣の「飯塚市」

  にしかなかった。

  さて「千鳥屋」

  飯塚の町は「遠賀川沿いにあり(一時は石炭運搬船で賑わう)、その支流の小さな

  川沿いに「千鳥屋」の壮大な敷地が広がる。なぜか「和風」の外観を持った建物を

  きれいな塀がめぐらされる。

  工場も敷地内にあると見え、なぜか対岸に「良い香り」が漂う。

  「うわさ」によると「秘伝の餡」はご当主直伝の製法で「密室」で製する、等と聞かされた。

  貧乏人の子だくさんの家庭では高級な和菓子「千鳥饅頭」を食べる機会などなく、

  「香り」だけの体験であった。

  
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# by snagai64 | 2016-05-18 11:38 | まち歩き写真